高校教育は才能を潰す
1. 定時制高校で教えたこと
今から十年近く前、某定時制高校で教えていました。そこで以下の授業を実践していました。
①漢字の二字熟語を1コマ(45分)の中で30個ほど憶える。
②もう1コマ(45分)でその中から10個使ってショートショート(短い物語)を作る。
※最終的には漢字の暗記30分、創作20分程度に落ち着きました。
これはキーワード作文というもので、当時としては珍しいものでした。
この授業が生まれた背景は、漢字の問題集が実践に役立たないものだったからです。それは、憶えても日常生活で即座に応用できない用例ばかりだったということです。
そこで、実際に使ってみれば、生徒が正しく意味を理解できたか教員の側でも確認できるし、生徒も実践的に用語を覚えることができると考えたのです。そこで、物語を作るという創作活動がスタートしたのです。
2.学校教育で唯一、表現力を育成できる科目とは
先ほどのキーワード作文という創作活動は主に国語表現Ⅰという、国語の科目で行っていました。現在存在する教科、科目の中で唯一表現力、いわゆるアウトプットを専門に行う授業です。
残念ながら、学校教育で創作を専門に行う科目は小・中・高校を通してこの科目(国語表現ⅠとⅡ)しかなく、残念なことに以前より学校現場で軽視されつつあります。つまり、そもそも選択科目なのに、選択肢すら消されているところが増えているのです。もっというと、指導要領からも比重が軽くされてきているのです。
3.生徒の才能を発見し、伸ばし、励ました結果
この指導の結果、生徒の漢字の知識を増やしただけでなく、生徒の記述力を飛躍的に伸ばすことに成功しました。成功したという根拠は、文章の基本的構造、文法・語法という観点からだけでなく、文章を構成するというところまで最終的には向上したからです。
私の授業で、ものすごいスピードで小説を量産する生徒が現れたので、将来小説家になったら?とその生徒に勧めました。もちろん、本当に小説家としてマネタイズするとは考えていなく、自信をつけさせたいという思いからでした。
この生徒は学力的には大学はちょっと難しく、普通なら高校卒業後は就職か専門学校かなという感じでした。でも、これだけの才能は普通の労働者にさせるともったいないとは感じていたのも事実です。
ある時、他の教員にこんなすごい生徒がいて、小説家になれるんじゃないかなんてつぶやいたところ、「そういう半端な夢を与えるのはやめましょう。ほとんどの人は夢破れていくんだから」という趣旨のことを言われました。
つまり、高校では生徒が夢を追うことも潰されるし、教員が夢を応援することも潰されるということです。
4.どの道を薦めれば良かったのか
当時、ブログで小説を発表するとか、youtubeで小説を発表するという手段を私が思いついていたら展開はもっと違ったものになったと思います。
仮にその手段を教えていたとしたら、彼女(生徒)は人気作家、あるいは人気ブロガー、あるいは人気youtuberになれたと思うし、あるいは記事代行だけでも生活できるくらいマネタイズしたのではないかと確信しています。
私も社畜精神があったので、独立して自分の作品を世に出すということが頭に浮かばなかったのでした。当時の私は、大学院に進み、大学の権威のもとで研究者になりたいということしか頭になかったのでした。
私自身、教育関連以外でももっとインターネットで情報を収集し、視野を広げる必要があったと痛感します。教員というのは、狭い視野で生徒の将来を枠にはめる危険な存在だなと思います。
5.まとめ
高校生は、高校の先生の進路指導を参考にしないで、自分で可能性を伸ばす努力をし、情報はインターネットから収集しましょう。