大学の通信課程や社会人大学・社会人大学院はレベルが高い人が集まるという意外な事実
目次
1.芸術系(音楽等)、経済系・会計系では現場のプロが学位を取りに来る。
2.放送大学大学院の修士課程は東大博士課程への踏み台になっている。
3.大学の通信課程の学費は不当に安い。
4.まとめ
5.あとがき
この話題にどれだけ需要があるのかわかりませんが、世間一般の認識と事実にずれがあるので、正しい事実を伝えなければならないと思い、今日もざっくり書くことにします。
1.芸術系(音楽等)、経済系・会計系では現場のプロが学位を取りに来る。
①芸術系
私は無謀にも、以前音楽の教員免許を取ろうと大阪芸術大学通信教育部の教職課程の科目等履修生になりました。そこのスクーリングで知り合った6~7人程の方々は、半分以上は現場で音楽を仕事にしている方でした。プロです。
一人は、中学校の吹奏楽部の部活指導者(教え子と結婚したいと言っていたデブの男です)。もう一人は、オーケストラのラッパ(多分トランペット)奏者と司法書士の兼業。もう一人はホスト兼ピアニストのチャラ男(コンクール優勝経験があるらしい)。あと一人、大阪音大短期の卒業生で、ほとんど音楽家の卵です。
彼らは音楽の学位を取りに大阪芸大の音楽科の通信課程に入学してきました。はっきり言うと、普通に音大に通えるレベルだと感じました。私はここで、音楽の免許や資格などというものは、芸の前には全く意味をなさないものだと悟りました。そして辞めました。
これはおそらく、美術系でも同じではないでしょうか。例えば、デザイナーや画家をやっているが、学位がない方などが入学されることが多いのではないでしょうか。
②経済・会計系
これも無謀にも、経済学の勉強は学部の教養レベルしかかじったことがないのに 某国立大学の大学院経済学研究科に入学してしまったことがあります。
ここでは、会計学の修士号を修めていた方など他の大学院を修了された方、修士はなくても現場で経験を積んだ切れ者サラリーマンなど、どう考えても大学新卒で入る大学院よりレベルの高い人たちが集まっていました。
ここでも悟りました。私はこの方たちには勝てないと・・・。
2.放送大学大学院の修士課程は東大博士課程への踏み台になっている。
放送大学はおそらく修士号を最安で取得できるところです。私も文学系の研究室に入りましたが、年限で除籍になりました。この経緯はあとがきで述べます。
さて、放送大学も大学と同じで、文学系は本当の研究などしていません。入らない方がいいです。教員が修士号と専修免許状(教員免許)を取って見栄を張るために入学するとか、おじいちゃんおばあちゃんが余生を過ごすために入学します。
でも、理系は実はすごい人が多く、データを自分で集められる人が論文を提出して学位を取るために入ります。もちろん、論文の書き方や研究方法はある程度独学で習得できるレベルの方です。
そんな方がオリジナルなデータをもとに論文を作るのです。レベルが低いわけがない。例えば、企業の研究職だったり、行政職で自分だけが特別なデータを持っているというような公務員などが在籍していたりします。
このような方で、さらに学位を取るために博士課程に進む人もいます。放送大学の修士号の権威はもちろん他の国立大学よりは弱いものの、私立大学よりはましという認識が私にはあります。
もちろん、これはその方が本当にすごいデータをもとにすごい論文を書いた場合です。余生を楽しむ系の方は除きます。
余談ですが、教育系の修士論文って大学の卒業論文程度というところも多いです。東大でもそうです。教職大学院というのも存在意義がわからない。若造が資格取るために入るところという印象です。こんなの必要なんでしょうかね。
3.大学の通信課程の学費は不当に安い。
アメリカの大学院なんかは、通信課程でもしっかり修士号取れるし、修士と社会的にも認められます。日本の場合すごくバカにされていますが、大学が次第に通信教育にシフトしていくのは時代の流れです。
今はスクーリングで授業受けても1単位当たり約1万円相当(日大通信、法政通信)で受講できます。本とレポートだけで取る場合五千円以内で済みます。これは不当に安いです。これを一般的に市場のゆがみと呼んだりします。
言い換えると、お買得のボーナス期間です。十年前、通学できる通信課程の一単位当たりの金額は今ある大学の半額程度でした。例えば東洋大学は通信課程がありましたが、科目等履修生で一単位あたりスクーリングでも確か5000円程度、本の学習は2500円でした。今後はもっともっと、通学課程に近くなるでしょう。
4.まとめ
①通信課程や社会人大学・大学院にはすごい人がいる。
②放送大学は学歴ロンダリングの中継地点にもなるし、評価が高い場合もある。
③通信課程は非常にお得なので、値上がりする前に入ろう。
5.あとがき
大学院で論文を提出できずに終了したのは、自分としてはデータを集めて論文として最低限のレベルにしたかったけど、できなかったからです。それと、学問の道に進む危うさを途中で感じ、興味も失せていたのもありました。
研究者になるには数年かけて修士を取り、その上博士まで進みます。しかし、それが仕事としてマネタイズするかどうかわからないという現実があります。
これでは方向転換したくなっても自由にできないのです。熱しやすく冷めやすい性格なので、一年程度で結果が出る職種でないとやっていけいないと、ここ数年で悟りました。
なお、大学も大学院も文学系は論文ではなく壮大な感想文で終わるので、入らない方が良いです。私の場合事情があり、指導教官が逝去されたため、徒然草の研究者の元に配属になってしまったのです(涙)電子メールもでいない方でした。指導という指導もありませんでした。こういうことも事前に調べてから入学するのが良いですね。